面接試験。
2004年1月8日今日は午後3時から、卒論の口頭試問だった。
人身事故で電車が遅れていたようで驚いた。
大学に着いていろいろな手続きを済ませ、控え室へ。
そこにはすでに面接をしているはずの人が立っていた!
どうやら遅れているらしい…。
この緊張の時間がまだ続くとは…。
でもすでに終わった人の話によると
「大丈夫!いつものゼミと変わらないから^^」
といった感じらしい。
ちらりと見えた先生は頭がもっさりしていて、
幾分かやつれていた。
教授って大変なのね…。(←今年度から教授に昇格。)
ついに私の番。
…あれ?
和やかなムードで始まった。
卒論の章立ては4章までなんだけど、
第1〜3章はいいと言われた。
問題は第4章…。
乱暴だと言われたのだ。
言われてみれば確かに^^;
やはり文学は難しい。
質問されてそれに答えていくうちに
自分の書きたかったことが明確になっていくのだから
先生ってすごい!
卒論なのに漠然としてたのか?
と言われると「う…はい。」って感じだけど
この面接ではっきりした気がする。
うちのゼミの先生は「作家論」を否定する人なのだ。
だから「作家論」を唱えると先生に突っ込まれる。
容赦なく…。
それを意識するから作家論ではなく「作品論」になるわけだが
その中で時代背景と関連付けることの難しさがわかった。
私の扱った作品は戦後作品なんだけど、
戦後という時代の扱い方が乱暴だと言われたのだ。
先生の言っている意味がわかるだけに、
自分の甘さを改めて思い知らされた。
その後は今後の進路について話した。
「とりあえず就職する」との言葉に先生が「?」という顔をした。
教職と並行して学んでいた日本語教員を目指すことにしたから、
とりあえず就職するというのは
その通過点にするという意味なのだと説明した。
働きながら勉強して、いずれは日本語教員になりたい。新しい目標に向けて頑張る、と。
教職のために日本語教員コースを諦めたけど、
やはり諦めきれない部分があったから
とことんやりたい。
そんなことを話したら、先生が日本語教員コースの先生に手紙を出したら?と。
その先生に話を聞きたいとは思っていたけど、
大学が休みに入っている今、聞くのは難しいと考えていた。
「住所は教えられないけど、大学の住所で先生宛に書いてみたらいいんじゃない?」
と先生が。
言われて見ればそうだよね^^
手紙を書いて相談してみよう!
面接の最後に、赤ラインがひかれている卒論と
先生の手紙をもらった。
こういうところがマメだな〜と思う。
先生の手紙は私の性格を見抜いたものだった。
それは他の人にも言えることだったらしい。
その後ゼミの飲み会があったんだけど、
大分みんなが酔ってきたとき
一人の子がこう言った。
「先生〜、先生の手紙読んで泣いちゃいましたよ〜;;」
このとき先生は私の真向かいに座っていた。
そして隣には友人二人。(A姉さん、Cちゃん)
A「そんな泣けるようなこと書いてあったっけ?」
C「ううん、普通のことしか書いてなかったよ。」
A「そうだよねー。」
先生「なあ!」(同意している)
この会話を聞いていて一瞬凍りついた。
手紙にはそれぞれの人を思ったことが書かれていたのだと思う。
少なくとも自分のには。
話を聞いてると他にも「ほろっときた」といっている人もいたしね。
それを普通のことと受け止めるのはいいけど、
先生の前でいうべきことじゃないよね?
先生の隣に座ってた男の子は、彼女たちに
「それは思ってても、先生の前で言うべきじゃないよ。」
と笑っていさめた。すると、友人たちは
「でも先生だって『なあ!』って言ってたよね?」
「ねー。」
と。正直に言って呆れた。
そのときの雰囲気からいって『なあ!』としか答えようがないよ。
私が彼女たちの発言で凍りついたのは、
今回が初めてじゃない。
でも今回のはさすがに…耳を疑った。
いつもしっかり物事をこなしてて
こなしてない人を批判的に見るのはいいよ、別に。
やることやって言ってるから。
でも自分の物差しがいつも正しいわけじゃない。
それをわかってほしい。
人をもっと肯定的に見て欲しい。
この二人とは一緒にいて楽しい時間はすごせる。
けど、それ以上でも以下でもないと思っている。
これこそ冷めた見方なのかもしれないけど、
まあそれまでの関係なのかもしれない。
だって高校の友達には、間違ったことをしてたら
いさめたから。
そしてその友達はその場で言うべきことなのか否かを
判断して発言する人たちだったから。
今回のような場面に出くわすと、私は思う。
人って「デキることが全てじゃない。」
「TPOをわきまえられること、思いやりがもてること」が大事なんじゃないかなって。
人身事故で電車が遅れていたようで驚いた。
大学に着いていろいろな手続きを済ませ、控え室へ。
そこにはすでに面接をしているはずの人が立っていた!
どうやら遅れているらしい…。
この緊張の時間がまだ続くとは…。
でもすでに終わった人の話によると
「大丈夫!いつものゼミと変わらないから^^」
といった感じらしい。
ちらりと見えた先生は頭がもっさりしていて、
幾分かやつれていた。
教授って大変なのね…。(←今年度から教授に昇格。)
ついに私の番。
…あれ?
和やかなムードで始まった。
卒論の章立ては4章までなんだけど、
第1〜3章はいいと言われた。
問題は第4章…。
乱暴だと言われたのだ。
言われてみれば確かに^^;
やはり文学は難しい。
質問されてそれに答えていくうちに
自分の書きたかったことが明確になっていくのだから
先生ってすごい!
卒論なのに漠然としてたのか?
と言われると「う…はい。」って感じだけど
この面接ではっきりした気がする。
うちのゼミの先生は「作家論」を否定する人なのだ。
だから「作家論」を唱えると先生に突っ込まれる。
容赦なく…。
それを意識するから作家論ではなく「作品論」になるわけだが
その中で時代背景と関連付けることの難しさがわかった。
私の扱った作品は戦後作品なんだけど、
戦後という時代の扱い方が乱暴だと言われたのだ。
先生の言っている意味がわかるだけに、
自分の甘さを改めて思い知らされた。
その後は今後の進路について話した。
「とりあえず就職する」との言葉に先生が「?」という顔をした。
教職と並行して学んでいた日本語教員を目指すことにしたから、
とりあえず就職するというのは
その通過点にするという意味なのだと説明した。
働きながら勉強して、いずれは日本語教員になりたい。新しい目標に向けて頑張る、と。
教職のために日本語教員コースを諦めたけど、
やはり諦めきれない部分があったから
とことんやりたい。
そんなことを話したら、先生が日本語教員コースの先生に手紙を出したら?と。
その先生に話を聞きたいとは思っていたけど、
大学が休みに入っている今、聞くのは難しいと考えていた。
「住所は教えられないけど、大学の住所で先生宛に書いてみたらいいんじゃない?」
と先生が。
言われて見ればそうだよね^^
手紙を書いて相談してみよう!
面接の最後に、赤ラインがひかれている卒論と
先生の手紙をもらった。
こういうところがマメだな〜と思う。
先生の手紙は私の性格を見抜いたものだった。
それは他の人にも言えることだったらしい。
その後ゼミの飲み会があったんだけど、
大分みんなが酔ってきたとき
一人の子がこう言った。
「先生〜、先生の手紙読んで泣いちゃいましたよ〜;;」
このとき先生は私の真向かいに座っていた。
そして隣には友人二人。(A姉さん、Cちゃん)
A「そんな泣けるようなこと書いてあったっけ?」
C「ううん、普通のことしか書いてなかったよ。」
A「そうだよねー。」
先生「なあ!」(同意している)
この会話を聞いていて一瞬凍りついた。
手紙にはそれぞれの人を思ったことが書かれていたのだと思う。
少なくとも自分のには。
話を聞いてると他にも「ほろっときた」といっている人もいたしね。
それを普通のことと受け止めるのはいいけど、
先生の前でいうべきことじゃないよね?
先生の隣に座ってた男の子は、彼女たちに
「それは思ってても、先生の前で言うべきじゃないよ。」
と笑っていさめた。すると、友人たちは
「でも先生だって『なあ!』って言ってたよね?」
「ねー。」
と。正直に言って呆れた。
そのときの雰囲気からいって『なあ!』としか答えようがないよ。
私が彼女たちの発言で凍りついたのは、
今回が初めてじゃない。
でも今回のはさすがに…耳を疑った。
いつもしっかり物事をこなしてて
こなしてない人を批判的に見るのはいいよ、別に。
やることやって言ってるから。
でも自分の物差しがいつも正しいわけじゃない。
それをわかってほしい。
人をもっと肯定的に見て欲しい。
この二人とは一緒にいて楽しい時間はすごせる。
けど、それ以上でも以下でもないと思っている。
これこそ冷めた見方なのかもしれないけど、
まあそれまでの関係なのかもしれない。
だって高校の友達には、間違ったことをしてたら
いさめたから。
そしてその友達はその場で言うべきことなのか否かを
判断して発言する人たちだったから。
今回のような場面に出くわすと、私は思う。
人って「デキることが全てじゃない。」
「TPOをわきまえられること、思いやりがもてること」が大事なんじゃないかなって。
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